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大阪地方裁判所 昭和62年(ワ)5219号 判決

原告

永持孝治

右訴訟代理人弁護士

小原邦夫

被告

株式会社高速道路管理

右代表者代表取締役

伊藤栄亮

右訴訟代理人弁護士

大原篤

大原健司

播磨政明

山村武嗣

主文

原告の請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は、原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

(原告)

一  原告が被告に対し、労働契約上の権利を有することを確認する。

二  被告は、原告に対し、金六一七万三四八六円及びこれに対する昭和六三年一月二一日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

三  被告は、原告に対し、昭和六三年一月一日から原告が労働契約上の権利に基づき被告の業務に就労するまで、毎年末日限り、一箇年金三八三万二八八一円の割合による金員及びこれに対する翌年一月一日から各完済まで年五分の割合による金員を支払え。

四  訴訟費用は、被告の負担とする。

五  仮執行宣言

(被告)

主文同旨

第二当事者の主張

(請求原因)

一  原告は、昭和五〇年七月一日被告に雇用された(以下原告、被告間の契約を「本件労働契約」という)。

二  原告の被告からの昭和五九年度における年間支給賃金、賞与等合計は金三八三万二八八一円である。

三  原告は、被告の下で就労していたが、被告は、昭和六〇年四月一五日以降本件労働契約の存在を争い、原告が労務を提供しようとするとこれを拒絶している。

よって原告は被告に対し、原告が被告に対し本件労働契約上の権利を有することの確認並びに昭和六〇年一月一日から昭和六二年一二月三一日までの賃金、賞与等(前記のとおり原告の年間平均支給賃金、賞与等合計は金三八三万二八八一円である)の一部金六一七万三四八六円及びこれに対する弁済期後の昭和六三年一月二一日から完済まで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金並びに昭和六三年一月一日から原告が本件労働契約上の権利に基づき被告の業務に就労するまで、毎年末日限り、一箇年金三八三万二八八一円の割合による賃金、賞与等及びこれに対する翌年一月一日から各完済まで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の各支払を求める。

(認否)

請求原因事実はすべて認める(ただし、昭和五九年度における原告の年間支給賃金、賞与等合計額をもって原告の当時の年間平均支給賃金、賞与等と解することは争う)。

(抗弁)

一  原告と被告とは、昭和六〇年三月末ころ本件労働契約を同年四月一五日限り解約する旨の合意をした。

二  被告は、同年三月二九日原告に対し解雇の意思表示をした。

(認否)

抗弁二の事実は認めるが、同一の事実は否認する。原告は、当時退職の意思は全く有していなかった。

(再抗弁)

一  (抗弁一の事実につき)

仮に原告、被告間において退職の合意が成立したとしても、原告は、同年四月一五日被告に対し、右意思表示を撤回した。

二  (抗弁二の事実につき)

被告の原告に対する解雇は、以下の事情から解雇権の濫用であって無効である。

1 原告の上司である新枦明課長は、昭和五九年一一月二三日ころ原告に対し御用組合を結成するよう指示し、原告がこれを拒絶するや、原告の些細な言葉尻をとらえ、強いて退職届を書かせ、これを盾に取って本件労働契約の終了を主張するもので、右は実質的には解雇であって、しかも以上の経緯から解雇権の濫用に該当する。

2 前記のとおり原告は、昭和六〇年四月一五日被告に対し、退職の意思表示を撤回したにもかかわらず、被告はこれを認めず本件労働契約の終了を主張するもので、右は実質的には解雇であって、しかも以上の経緯から解雇権の濫用に該当する。

(認否)

再抗弁事実はすべて否認する。

第三証拠(略)

理由

一  請求原因事実は、昭和五九年度における原告の年間支給賃金、賞与等合計額をもって原告の当時の年間平均支給賃金、賞与等と解することができるか否かを除きすべて当事者間に争いがない。

二  そこで抗弁一の事実につき判断するが、前記当事者間に争いのない事実並びに原本の存在及び成立に争いのない(書証略)、その方式及び趣旨により公務員が職務上作成したものと認められるから真正な公文書と推定すべき(書証略)、原告本人尋問の結果により真正に成立したものと認められる(証拠略)を総合すると以下の事実が認められ、(人証略)及び原告本人尋問の結果中右認定に反する部分は採用できず、また原本の存在及び成立に争いのない(書証略)、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる(書証略)中右認定に反する部分はその文書の性質上、以下の事実に照らし採用できず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

1  原告は、昭和五〇年七月一日阪神高速道路公団の管理を業とする被告に雇用された。

なお被告においては、その職務内容として高速道路上での事故車の後方警戒、落下物の処理等を担当する機動班(巡回班)と原告ら阪神高速道路入口で重量違反車の取締りを担当する取締班とが存在し、各班は数名でチームを作り主任が置かれていた。

2  原告は、昭和五五年ころから取締班で主任をしていたが、腰痛、歯痛が持病となっていて通院しており、また原告の父(昭和五九年一一月二九日死亡)が重病で原告はその看病をする必要があり、これらのため休暇を取ったり、早退をしたり、夜勤を免除されることが多く、しかも特に休暇を取るについては被告に対する連絡が不十分なことが多かった。

3  被告は、昭和六〇年三月二〇日、同年四月一日からの人事異動を発表したが、その内容の一部に、原告につき、原告の通院等を容易にさせるため主任職の肩書は残すが(この肩書が無くなると原告に手当が付かず、給与上の不利益が生ずる)実質的には主任としての職務を免除する趣旨の事項があった。

しかし原告は、主任職が肩書だけになると、将来実質のみならず形式的にも主任職の地位を奪われる危険が生ずること、夜勤免除の申請がしずらくなること、腰痛の治療に専念する必要があること、原告の妻が同年四月からはり師、きゅう師を養成する学校に入学することになっており、将来は妻の収入にある程度の期待ができること(現実に妻は、その後昭和六二年九月に右学校を卒業し、はり師、きゅう師各試験に合格し、同年一〇月その免許を得た)等から退職を考慮するようになり、昭和六〇年三月二八日ころ被告事務所に備付けの退職届の用紙を自宅に持ち帰り同年四月一五日限りで退職する趣旨で必要事項の記入をした上、なお将来訴訟を提起することも考え、これを複写して、複写したものを保管し、同年三月二九日ころ被告に対し腰痛の治療に専念する必要があること、原告の妻がはり師、きゅう師を養成する学校に通学し、将来は妻の収入にある程度の期待ができること等を理由として(ただし退職届の記載上は「一身上の都合」とのみ記載した)同日付けの右退職届を提出した。

4  被告は、右退職届を受理し、真実原告が同年四月一五日限りで退職を希望しているものと理解し、退職金を支払うための資金上の手当をし、また同月五日職場において原告の送別会を開いた。

原告は、右送別会への出席につき余り気が進まなかったが、その理由は、原告は酒が飲めず、体調が悪くたくさんは食べられないということにあり、退職の決断に至らないからというものではなく、その席上も原告は真意から退職を望んでいるものではないとのこと等を同僚に告げることはなかった。

5  そして原告は、同年四月八日から同月一五日まで、退職前に年休を消化するため被告を休んだ後、同月一六日、被告から同月一五日までの賃金(前記のとおり主任の手当は継続していた)及び所定の退職金全額を受領し、また同月二〇日ころ社会保険継続のため被告に出社したが、これらの際も被告担当者に対し、退職に不満を感じている態度を全く示さず、その後も少なくとも昭和六〇年末までは被告に対し書面を交付したり、仮処分を申請する等して退職に不満であるとの意向を示すことはなかった。なお原告は、被告退職後、妻の在学中は、雇用保険法に基づく失業給付(傷病手当)の支給を受けたり、他の企業に勤務して収入を得ていた。

6  なお被告においては、その作業現場である西淀川交通管理所の従業員数合計は部課長(これらは管理職として主任と異なり非組合員)を含めても三三名にすぎなかったが、前記のとおり機動班(巡回班)と取締班とが存在し、被告従業員は、それぞれその所属する班単位で別個の労働組合を構成していた。

そして双方の組合員間の意思疎通は必ずしも十分ではなく、右班を超えての人事異動も事実上困難な状態にあり、その結果被告としても人事管理上の問題を感じてはいた。

原告は、その所属する取締班の労働組合において昭和五八年一〇月から昭和五九年一〇月までの間組合委員長を担当したが、昭和五九年一一月二三日ころ原告の上司であった新枦課長が、原告に対し、右のとおり全体の従業員数がそれほど多くはないのに、複数の労働組合が存在し、しかもその間の意思疎通が必ずしも十分ではないのは残念である旨を述べたことはあった。しかし特段原告に対し、被告に協力するいわゆる御用組合を第三勢力として結成するよう指示をしたことはなく、したがって原告がこれを拒否したとの事実もなかった。

以上の事実によれば、まず客観的な事実として退職届の提出、受理により、原告と被告との間において本件労働契約の合意解約の合致が成立したことは明らかである。ところで原告は、当時退職の意思は全く有していなかったとし、これにそう供述をする。しかし以上の事実によれば、原告は、退職届提出後、送別会に出席し(原告が出席をためらったのは退職が不本意であるということにあるのではなく、飲食をすることが体調に合わないということにあったにすぎない)、退職前に年休を消化し、所定の退職金を受領したこと、また右送別会やその後の退職金受領等の際、同僚や被告担当者に対し退職の意思がない旨を表示してはいないこと、さらにその後も被告に対し書面を交付したり、仮処分を申請する等して退職に不満であるとの意向を示すことはなく、かえって失業給付の支給を受け、他の企業に勤務して収入を得ていること等の事実が認められるものであり、したがって原告はそもそも退職届提出に際しても既に退職の意思を有していたものと推認することは十分に可能であるが、仮にその真意においては退職の意思が無かったとしても、右の事実に照らせば、被告において右原告の内心の意思を了知していたとの事実は、到底認めるに足りないものである。

三  再抗弁一の事実については、原告本人尋問の結果中にこれにそう部分があるが右は採用できず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。

もっとも、原告本人尋問の結果並びにこれにより原本の存在及び成立の真正が認められる(書証略)によると、原告が、昭和六〇年四月一三日治療を開始した医師から頚椎骨軟骨症等の病名で約三カ月の休業加療を要するとの内容の診断書の交付を受けたことが認められ、これによると同月一五日に被告の新枦課長と退職につき何らかの交渉をしたことを推認する余地もあるが、前記の事実、特にその後被告が退職金を支払っていること、原告もこれを受領した上、しばらくの間は被告に対し退職に不満であるとの意向を示すことはなく、かえって失業給付の支給を受け、他の企業に勤務して収入を得ていること等の事実に照らすと、右交渉において退職の意思の撤回と解される態度は示されなかったものと解するのが相当である。

四  以上の事実によれば、原告の本訴請求はいずれも理由がないのでこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 北澤章功)

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